某芸人さんのニュースにはびっくりした。
そして、「想像を絶するルーズさ」については、
わたしにもたくさん身に覚えがあったのでゾッとした。
わたしには病的にルーズな時期があった。
大学に入って一人暮らしをしてから、しばらくの間、ずっと。
高校生までは実家で暮らしていて、「自分ってルーズだな」と思うことはあっても、
「こんな人よくいるよね」というレベルだと思っていた。
実際そうだったと思う。
ズボラでルーズではあるけれどもそこまで実害は無かった。
提出物もまあまあ普通に出すし、遅刻はほとんどしたことがない。
物をなくすことも滅多に無かったし、忘れ物もそこまでした覚えはない。
だけど、大学に入って一人暮らしをしてから、
わたしはとんでもなくルーズになった。
「一人暮らしって色々やることがあるから大変だよね!」
と思って自分を納得させていたんだけれども、何かが違う。
周りの、一人暮らしの子達はみんなちゃんと生きている。
やらなければ!と思っていることがたくさんあるのに、
そのどれにも手をつけられなかった。
この服だけ素材が違うから分けて洗わなきゃ、と思ってはいたけどずっと洗えなかった。
そのまま半年くらい過ぎ、季節も変わったし面倒になって捨てた。
電気代を払いにいこうと思い続けて、支払いの期限が過ぎた。
そもそも、自動引き落としの設定をしなければ、と思っているのに、
その電話をずっとかけられないまま1年以上が過ぎた。
起きようと思っても起きられなくて、遅刻すると目立つから嫌で授業を休み続けて単位を落としまくった。
友達と約束をしていたのに、家を出るのが急に面倒になって断った。
前日にお風呂に入っていなかったので、約束の当日にあわててシャワーを浴びた。
髪の毛はビチョビチョのままで家を出たし、時間には遅れた。
バスマットを干してから、取り込もう取り込もうと思い続けてずっと取り込まず、
片側だけ色落ちした。
途中、雨が降っていたけど、そのまま干して乾かした。
洗濯物を干したのに取り込むのが嫌で、3日間干し続けた。
就活のためにお金を払って自己分析をしたのに、取りに行くのが面倒でそのままにした。
クレジットカードを使い過ぎた上に口座に現金が足りなくて、カード会社から電話がかかってきた。
というのは、ほんの一部。
とにかくとにかく日々やらなければいけないことにたくさん囲まれていて、
それでいて一つもできない、という状況だった。
そして、期限が直前になってから慌てて始めることが多かった。
やる前にすでに期限が過ぎていて、諦めたこともたくさんあった。
なんだか高校生までの自分とは違う気がする、何かがおかしいとはうっすらと思うものの、
それでもそれなりに生活は出来ていた。
多少は人に迷惑をかけながら、そこまで大ごとにならずに済んできたと思う。
自分がなんだかおかしい気はするけれども、誰に相談していいかもわからない。
病気というほど大層なことでも無い気がするし、何より病名がつくのも嫌だった。
今まで実家でぬくぬくと生きてきたから、怠け癖が出たのかな?と思っていた。
みんなちゃんと生きていて、えらいなぁ。
なんでわたしは他の人ができることが、
こんなに簡単なことが、
全然出来ないんだろう。
とにかく不安で、でも何が不安なのか分からなくて。
相談しても、「やるべきことをただやればいいじゃん」と言われるだけだろうと思って相談できなかった。
「やればいい」その通りだし、でもなぜかできない。
やらなければいけないことがたくさんあるのに、なぜかどうしてもできない。
怖くて、相談もできなかった。
結局、それから数年経つまで、ずっとその状態が続いていた。
いつそれが変わったのか、具体的には覚えていない。
〇〇の手続きのために、今から郵便局に行こう。
そう思って、すぐ郵便局に行けた時に、
「あれ、わたし、そういえばずっと、
こういうことができていなかった気がする」
やってみればすごく簡単なことなのだけれど、なぜかそれがずっとできなかった。
やる気はあるし、やらなければ!と思っているのにずっとそれができなかった。
面倒だから明日でいいや、と思う日もあれば、完全に忘れている日もあった。
強迫観念的に思いつめているのに、体が動かない日もあった。
やらなければいけないことにまみれて、何から手をつけていいかわからず、
結局なにもできていない日もあった。
やりたいことがあっても、
「やらなきゃいけないことをやっていないのに、
やりたいことだけやってもいいのかな?」
と思ってなかなかできなかった。
そんな日々を思い出して、突然変わった自分に驚いた。
「なおった」とかではなく、「なにかが変わった」気がした。
変わったのがなにかはわからないけど、
わたしはやっと、やろうと思ったことができるようになったのかもしれないと思った。
買い物メモを書いて、買い物に行く。
住所変更のハガキを提出する。
お金を振り込みに行く。
シーツも洗うし、布団も干す。
おしゃれ着は分けて洗う。
掃除もまだ得意ではないけれど、汚くなる前にはしたいと思っている。
すごく当たり前のことなんだけれど、それが今までできなくてずっと怖かった。
なぜかわからないけれど、今はできている。
汚くなってきたから靴を洗おうとか、
汚くなる前に手入れをしようとか、
そういうことはずっとやりたかった。
やりたかったのにできなかった。
だから、できている自分が嬉しいし、やっと普通になれた気がした。
だけどまた、できなくなることがあるかもしれないと思う。
だから、怖い。
なんであんなにルーズだったのかわからないし、
なんで今はそれが軽減されているかわからない。
わからない、と書きながら自分ではなんとなく原因はわかってはいるけど、
きっとそれだけじゃないような気もしているので、うまく書けない。
ずっと自分のことを「やらなければいけないことができないクズ」だと思っていて、
ズボラでルーズでどうしようもない人間だと思っていた。
もともとそんなになかった自己肯定感がすり減ってすり減ってすり減って。
どん底だった日々もあった。
だから、いつの間にか軽減されてよかったと今では思うけれど、
あの状態が続いていたら辛かったと思う。
そして、その状態にいつ戻らないとも言えないので、怖い。
あの時の気持ちを例えるなら、
毎日が、「夏休みの宿題に一切手をつけていない状態で迎える8月31日の夜」のようだった。
ずっとずっとあせっていた。
もしかして病気だったかもしれないな?とも思うことがある。
でも今となっては確かめようがない。
今現在は特に困るほどのことはないのだけれど、
もしまた同じことになったらきちんと調べたいと思う。
ルーズさが軽減してから、ある本に出会った。
逃げ恥で大フィーバーした星野源のエッセイ。
「そして生活はつづく」という文庫本を購入した。
何の気なしに本を開くと、最初の話が「料金支払いはつづく」というタイトルの、電気代の支払いに苦労する話だった。
電気代を払おう払おうとは思っているものの、請求書を無くしてしまったり、忘れたりしてなかなか支払えない…というような話だ。
(詳しくは面白いので買った方がいい。)
あの、星野源が。
なんでもそつなくこなしそうなのに。
多才なのに。
まさか、電気代を払うことに苦労しているとは。
こんな有名な人でも、こういうことがあるのだな、とすごく安心した。
親近感が湧いて、とても嬉しく思った。
わたしだけじゃなかったんだ、と思うととてもホッとした。
「有名人だから、お金があるから解決方法がいっぱいあって良いよね」
とは全く思わなかった。
とにかく、自分と似たような人がいることに安心した。
わたしだけじゃなかったんだと。
よかった、と思った。
過去の自分が救われた気がした。
それから数年経って、数日前。
割と好きで見ていた芸人さんのニュースだった。
最初は謹慎しない、と事務所も発表していたけれど、
どんどん新しい情報が出てきて、大問題になっていった。
「わたしは彼よりもルーズではなくて良かった」だとか、
「自分は今、なおったから良かった」とは微塵も思わなかった。
もしかしたら、わたしも彼のような状況になっていたかもしれない、と思うとたまらなかった。これからなる可能性だってある。
自分と同じような人がいて、また少しだけホッとしてしまったけれども。
自分では「なんとかしたい」と思い続けてなんともならなかった数年間があるけれども、
やっぱり昔から見てきて好きだったので、
「どうか、彼はなんとかなりますように」とふわふわしたことを願ってみた。